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商店街の歴史

太秦なる地名の由来 「太秦」とかいて「うずまさ」と読ませる。
“読む”のではなくまさに読ませる。ではその「太秦」なる地名の起こりについていくつかの説を紹介しましょう。

「日本書紀」によると秦酒公の説話として{酒公が技術のすぐれた者を率いて、堅織りの絹を織り上げ献上品として天皇に奉ったところ、天皇は殊の外喜ばれ、酒公に”禹豆麻佐(ウツマサ)”の称号を賜った}と記されている。
この禹豆麻佐という読みを後に借字した「太秦」という文字に使用した。そうしたことが古記ついても秦氏を名乗り、太秦を地名としてそこを領したと記されている。

戦後、三条通りのバイパス通りとして、嵐電の太秦駅と帷子ノ辻の間に位置する生活道路で、毎月・5日・15日・26日には夜店が出店し夜店通りという名前がついていたが、市場、スーパー、銀行と次々に出店する事により商店街としての格式が出来てきた。

昭和41年4月、有志により大映通りショップ繁栄会を設立、商店街活動に力を注いだ。昭和46年8月、全商店の加盟により大映通り商店街に改組、法人組織の振興組合を設立、現在に至る。