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周辺観光

史跡 蛇塚古墳


所在地
京都市右京区太秦面影町

住宅街のど真ん中に、ふいに現れる不思議空間

蛇塚古墳は古墳時代後期末の7世紀頃築造された京都府最大の横穴式石室です。その規模や墳丘の形態などからみて首長クラスの墓と考えられています。なお、「蛇塚」という、なんともオドロオドロしい名称は、石室内に蛇が生息していたことからつけられたという説が有名です。

入口のフェンスには常時施錠されています。ご近所の方が鍵を管理されており、中に入りたいときは「ピンポーン」とお訪ねして開錠して頂きます。管理を任されているお宅は3軒ほどあり、玄関に掛かっている札でわかるようになっています。なんとも人間味あふれる仕組みです。

広隆寺

所在地
京都市右京区太秦蜂岡町32
連絡先
075-861-1461

国宝第一号・弥勒菩薩像を本尊とする、日本最古のお寺

『日本書紀』によれば、推古天皇11年(603年)、聖徳太子が「私は尊い仏像を持っている。誰か祀る者はいないか」と諸臣に尋ねたところ、秦河勝が進み出て、仏像を戴き、蜂岡寺(広隆寺の古称)を造ったとされています。霊宝殿・講堂(重要文化財)、桂宮院本堂(国宝)からなり、霊宝殿には飛鳥時代の国宝第一号「弥勒菩薩半跏思惟像」を始め天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉と各時代の国宝が安置されています。

木嶋坐天照御魂神社 (このしまにますあまてるみたま/通称:蚕の社)


所在地
京都市右京区太秦森ヶ前町

鳥居をくぐると、古代の息吹

祈雨の神として信仰を集め、市内でも最古に属するこの神社は、巨樹が生い茂り、古来の姿を留めています。本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから、通称を「蚕の社(かいこのやしろ)」又は、「木嶋神社(このしまじんじゃ」と呼ばれています。本殿の西側には四季湧水「元糺の池」という神池があり、そこに立っている石製の鳥居は大変珍しい三つの柱から成り、京都三鳥居のひとつとされています。

いさら井


所在地
京都市右京区太秦蜂岡町

地元の人も知らない!?隠れた史蹟

元々は広隆寺の境内にあった井戸ですが、敷地の縮小により現在は境内から少し離れた民家のそばにあります。「いさら」とは古語で「少ない」ということ。つまり「いさら井」とは「水の量が少ない井戸」という意味になります。

ところが…「いさら井はイスラエルがなまったもの」という摩訶不思議な説があることを御存知ですか?渡来人の秦氏の本拠地であったこの太秦の地が、そんな古代の謎への想像力をかきたてるのかもしれませんね。

車折神社

所在地
京都市右京区嵯峨朝日町23
連絡先
075-861-0039(代)

有名芸能人に会えるかも!?

珍しい名前の由来については、「ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまった」とも、「後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなった」とも言われています。祭神は学問で有名な清原氏の出である清原頼業(きよはらのよりなり)。

境内には「芸能神社」があり、芸能や芸術に関わる人達の間ではご利益があると有名です。境内を埋め尽くす玉垣には昭和の銀幕スターから平成のアイドルまで、名立たる芸能人達の名前がずらり!

鹿王院

所在地
京都市右京区嵯峨北堀町24
連絡先
075-861-1645

嵐山を借景とした美しい庭園
康暦2年(1380年)に3代将軍足利義満が創建した寺院。鹿王院の名の由来には「廟(びょう)を建てようとして横の藪を切り開いたところ、藪の中から白鹿が出てきた」という美しい物語があります。苔で覆われ、石組と植え込みを配した平庭式枯山水庭園は京都市指定名勝を受けるほどの名園。境内にはマキ、アカマツ、カゴノキなどの古木があり、初夏には沙羅双樹(ナツツバキ)の白い花が、秋にはモミジの紅葉が平庭一面のコケ敷の緑に映えます。

大覚寺油掛地蔵尊(だいかくじあぶらかけじぞうそん)


所在地
京都市右京区嵯峨天龍寺油掛町30

黒光の威容!世にも珍しい油をかけられるお地蔵さま

油掛地蔵は鎌倉時代後期の1310年に造立された阿弥陀如来座像の石仏です。その昔、油商人がこのお地蔵さまを通るとき、油を注いでお参りしていたことがその名の由来と言われています。今は立派なお堂に鎮座される地蔵さまも、約40年前までは荒れ果てた「野仏」だったそう。現在は「地域のみんながお参りできるようにしよう」と近隣の町で油掛け地蔵奉賛会を立ち上げ、守っておられます。油掛けの風習は、なんと300年以上も前から行われており、今でも油と柄杓が用意され、いつでもお参りできるようになっています。

てくてく太秦 まちあるき散策マップ


ガイドブックには載っていない太秦について、詳しく載っています。

配布場所
・右京区役所
・大映通り商店街キネマ・キッチン